第483話 生涯初めての最後の〇〇が終わった・・・。
今日18日、私にとって初めて、最後の勤務が終わったのだ。
60歳で定年退職をする前に、現在の職場に勤めれることが決まっていたが、定年時の職場では最後の授業はやはり感傷的なものだった。 今日は先生としての最後の授業なので、朝家を出る時には妻が玄関先まで出て来て 「 ご苦労様です。永い事良く頑張られましたね 」とやさしい言葉をかけてくれてT山高専に向かったのだ。 まず、総務課に行き、私が新採用で務めたT島高のサッカー
部員だった総務課長と談笑した。 もうあの時代から38年経っている・・・。 ここでの授業は2年生の2クラスを水、木の2日間で担当している。 今年のクラスは、どちらも真面目で大人しい学生が殆どを占めていて、何の問題も無くやりやすかったのだ。 出席点呼の後、「 今日は、私の生涯最後の授業をする日です。皆は真面目に良く頑張って授業に取り組んでくれてやりやすかったです 」 「 私が最後の授業をするにあたって私の経験から一つ話したいことが有るので聞いてほしい 」 「 それは、社会に出たら頑張るのが当たり前なので、頑張らない者は相手にされません 」 「 普段口に出す たいぎな、おもろない、しんどい等は通用しない。 私はそういったネガティブな言葉は口に出さないようにしています。 」 「 苦しい時、しんどい時にどれだけ頑張れるかが大切になって来る 」 「 必死でやっていたらきっと認められて助けてくれる 」 「それから、体力があればあれば色んなことに頑張れる。 私がそうだから 」 等を話しました。 どれくらい伝わったかは分からないけどシーンとして聞いてくれてました。 2クラスの授業が終わり、講師控室に行き、最後の押印をして体育館に帰る途中に、2年前に担当したクラスのM科の学生に出会った。 「 先生、写真撮ろう 」 といきなり声をかけて来てスマホを取り出した。 このクラスは皆元気の良いクラスで楽しい思い出がある。 「 良いよ。 今日でここともお別れだから 」 「 そうなん!!もう来ないの 」 「 もう辞めるから 」 と言いながら2枚写真を撮った。 「 その写真高く売れるで 」 「 先生、ありがとう 」
「 頑張れよ 」 と握手をして別れた。 体育の授業では、4列横隊に出席番号順に並ばせて出欠確認をし、体育委員の指示で準備体操をした。 普通の高校とは異なる自由な校風の5年生課程の学校で、これまでとは変わらぬアナログ式の授業をやらせてもらった事に感謝しなくてはいけない。 3年目から4年間 M本先生と一緒に勤めれた事も楽しい時間だった。 教官室に帰り、成績を提出して他の先生に挨拶をし、前任校の退職時に頂いたイニシャル入りの湯呑とスリッパを持って部屋を出たのであった。 現職時代は段ボールに2箱はあった荷物も、今回は小さな段ボールに僅かに入っている物を前日持ち帰った。 車に乗って校門を出るまでの約20秒程は少し感傷的になったが・・・。 これでもう2度と教壇に立つつもりはなく、これからは生涯アスリートに専念できるのだ・・・。 体育の教員になる事を決心した高校3年の7月からの48年間はアッと言う間に過ぎていった。 私にとっては天職と思われるこの職業で、多くの同僚に助けられ、生徒達に恵まれて多くの貴重な経験をさせてもらった。 一つだけ自慢するとしたら どんな内容の仕事でも “ ヨッシ 頑張ろう” と積極的に取り組んだことだと思う。 どうせするのなら たいぎな とか何でこんな仕事をしなければいけないのか とか 適当にやっておこう とかは思わなかった事だ。 仕事には雑用も本業も無く、すべてが大事な仕事だという信念はあった。 成果はどう評価されたかは分からないが。 44年間もの教員生活で大過なく過ごせたことは本当に幸運だったと思っています。
そして、家族の理解と支えにより、何の心残りも無く教師生活を終えれたことに心から感謝したいと思います。
60歳で定年退職をする前に、現在の職場に勤めれることが決まっていたが、定年時の職場では最後の授業はやはり感傷的なものだった。 今日は先生としての最後の授業なので、朝家を出る時には妻が玄関先まで出て来て 「 ご苦労様です。永い事良く頑張られましたね 」とやさしい言葉をかけてくれてT山高専に向かったのだ。 まず、総務課に行き、私が新採用で務めたT島高のサッカー
部員だった総務課長と談笑した。 もうあの時代から38年経っている・・・。 ここでの授業は2年生の2クラスを水、木の2日間で担当している。 今年のクラスは、どちらも真面目で大人しい学生が殆どを占めていて、何の問題も無くやりやすかったのだ。 出席点呼の後、「 今日は、私の生涯最後の授業をする日です。皆は真面目に良く頑張って授業に取り組んでくれてやりやすかったです 」 「 私が最後の授業をするにあたって私の経験から一つ話したいことが有るので聞いてほしい 」 「 それは、社会に出たら頑張るのが当たり前なので、頑張らない者は相手にされません 」 「 普段口に出す たいぎな、おもろない、しんどい等は通用しない。 私はそういったネガティブな言葉は口に出さないようにしています。 」 「 苦しい時、しんどい時にどれだけ頑張れるかが大切になって来る 」 「 必死でやっていたらきっと認められて助けてくれる 」 「それから、体力があればあれば色んなことに頑張れる。 私がそうだから 」 等を話しました。 どれくらい伝わったかは分からないけどシーンとして聞いてくれてました。 2クラスの授業が終わり、講師控室に行き、最後の押印をして体育館に帰る途中に、2年前に担当したクラスのM科の学生に出会った。 「 先生、写真撮ろう 」 といきなり声をかけて来てスマホを取り出した。 このクラスは皆元気の良いクラスで楽しい思い出がある。 「 良いよ。 今日でここともお別れだから 」 「 そうなん!!もう来ないの 」 「 もう辞めるから 」 と言いながら2枚写真を撮った。 「 その写真高く売れるで 」 「 先生、ありがとう 」
「 頑張れよ 」 と握手をして別れた。 体育の授業では、4列横隊に出席番号順に並ばせて出欠確認をし、体育委員の指示で準備体操をした。 普通の高校とは異なる自由な校風の5年生課程の学校で、これまでとは変わらぬアナログ式の授業をやらせてもらった事に感謝しなくてはいけない。 3年目から4年間 M本先生と一緒に勤めれた事も楽しい時間だった。 教官室に帰り、成績を提出して他の先生に挨拶をし、前任校の退職時に頂いたイニシャル入りの湯呑とスリッパを持って部屋を出たのであった。 現職時代は段ボールに2箱はあった荷物も、今回は小さな段ボールに僅かに入っている物を前日持ち帰った。 車に乗って校門を出るまでの約20秒程は少し感傷的になったが・・・。 これでもう2度と教壇に立つつもりはなく、これからは生涯アスリートに専念できるのだ・・・。 体育の教員になる事を決心した高校3年の7月からの48年間はアッと言う間に過ぎていった。 私にとっては天職と思われるこの職業で、多くの同僚に助けられ、生徒達に恵まれて多くの貴重な経験をさせてもらった。 一つだけ自慢するとしたら どんな内容の仕事でも “ ヨッシ 頑張ろう” と積極的に取り組んだことだと思う。 どうせするのなら たいぎな とか何でこんな仕事をしなければいけないのか とか 適当にやっておこう とかは思わなかった事だ。 仕事には雑用も本業も無く、すべてが大事な仕事だという信念はあった。 成果はどう評価されたかは分からないが。 44年間もの教員生活で大過なく過ごせたことは本当に幸運だったと思っています。
そして、家族の理解と支えにより、何の心残りも無く教師生活を終えれたことに心から感謝したいと思います。