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zoom RSS 第512話  回顧録Q  頑張る事でしか認められないのか・・・。

<<   作成日時 : 2016/11/19 11:30   >>

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 昭和43年度のシーズンが終わり、冬季のトレーニング期間は駒沢公園の駐車場での練習かロード練習になった。   授業が終了してからの練習なので2時間程度だ。   駒沢公園の駐車場ではボール回しやサーキットトレーニングだ。   10ヶ月間大学でのトレーニングを積んだ私にはさほどしんどい練習では無かった。   自分の体力や技術が向上している実感があった。   土曜日は主に昼からのロード練習で、距離は分からないが多摩川を渡り自由ヶ丘から駒沢公園横を通って帰って来るコースだったか?1時間以上のタイムレースだ。   合宿所をスタートし、走ったことが無いコースなので、前にいる先輩に離され無い様に必死で走った。      残り2km余りで駒沢通に出て2年生の本田先輩を追った。   熊本出身で高校時代は陸上部で走りには自信があり余裕で走っている雰囲気だ。  信号待ちで並び、青になると私はダッシュだ。   先輩も意地があり抜き返して来る。   信号待ちで 「 金ちゃん、頑張るなあ  「 ハイ 」  信号が変わるとダッシュだ。  先輩もムキになって追ってくる。   その繰り返しが大学の横の坂まで続いた。   200m余りの登りを全力ダッシュで僅かに早く私が合宿所にたどり着いた。   「 参ったよ 」  と本田先輩。   一年足らずで心身ともに成長している自分が確認できたのだ。
3月になり決断が必要だった。   入学時に18人いた寮のサッカー部員は15人が退部し3人が残るのみだった。  寮を出ると下宿生活になる。  熊本出身の増永は新人チームのレギラーなので合宿所に移った。   学生寮には4年になる住田先輩が残り、1年生の生活指導を行う2年生の寮委員が必要だ。   鹿児島の中村と私のどちらかが寮に残り、もう一人は寮を出ることになる。   寮に残って後輩の面倒をみるのは私だと思っていたが、住田先輩もそのつもりだった。   「 金ちゃん。 寮に残るか? 」    「 ハイ。 寮委員をやらして下さい 」 だ。  日本一厳しい規則の学生寮と噂される第一学生寮で、苦難の3年間の始まりの決断だった・・・。       春休みが終わり、3月末に春合宿があった。   下総の自衛隊宿舎を借りての合宿だが食事のボリュウームが凄くて美味しかった事が印象に残っている。    合宿が終わり寮に帰った私は衝撃の事実を知らされた。   合宿に参加しなかった新4年生の3人が、監督のツルの一声で退部させられたのだ。   津山出身で2年上の国出さん、マネージャーの広岡さん、準レギラーの○○さんの三人が退部させられて合宿所を出されたのだ。   国出さんは隣のT工高出身で、サッカー初心者の私達を2週間程特別指導をしてくれた。   広岡さんは主マネージャーで真面目で良い人で私を可愛がってくれた人だ。   合宿に参加出来ない部員は不参加費として費用の半分を出すようになっている。   当時のお金で6,000円程を出しているにもかかわらず、「 合宿に参加しないような者は全員退部だ 」 と合宿が終わってからの監督の気まぐれな暴挙だ。  反論できる者は居ない・・・。    国出さんは1年時に先輩からのビンタで鼓膜が破れ、その状態が良くないので不参加にしたらしい。   広岡さんは家庭の事情だった様だが・・・。  「 退部!!」 だ・・・。   これが当時の我が大学サッカー部の現状だった。     そして4月になり20名程の個性豊かなサッカー部新入生が学生寮に入って来たのだった・・・。 
 

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