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zoom RSS 第490話   涙のこうし園・・・。

<<   作成日時 : 2016/04/16 12:05   >>

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 前号でお知らせした通り、先週までT山朝日新聞に連載されていた “ 涙のこうし園 ” について書かせてもらいます。  この作者はT山商時代に1年次が同級生だった ありき太一 君なのだ。  彼はその時の事を本にして出版したらしいが、その一部が16回に分けて連載されていて9日の土曜日で終わった。 入学当時はO山県の高校野球は全国レベルで、その2年前だったか?O山東商が平松投手を擁して選抜で全国優勝を成し遂げ、倉敷にある商業高の卒業生に、松岡、星野投手がいた。  また私立K西高の森安投手はプロで短期間だが凄く活躍し、くろい霧事件で球界を去った。  この時代のT山商は、数年前からK敷商、K敷工、O山東商、かん西、等と同等のレベルに達し、県北の雄としてT山商も甲子園の有力候補だったのだ。  私は中学時代に野球がやりたかったが部が無く、友達が入っているソフトテニス部に入ろうとしたら「 部員がすごく多いので入っても球拾いばっかりだ 」と忠告してくれたので断念した。  高校では野球部に入部したかったのだが、早朝から夜8時過ぎまで練習している部に入る決断が出来なかった。  やむなく友達や近所の先輩がいるブラスバンド部に入部し、6月で退部した。   そして2、3年時にみま作総体の1週間程前になって軟式野球部に助っ人で加わった。  昼休みにピッチング練習をしていると 「 良いボールを投げるな。 硬式に入れば良かったのに 」 と声をかけてくれたのが現T山市長の みや地先輩だった。  「 こうし園で校歌が流れたらわしは死んでも良いんじゃ 」と2年次の歴史の授業で常に言っておられたY山部長。 小柄でずんぐりで、コロさんと呼ばれて親しまれていた・・・。  2年の秋の県大会でK敷工に勝って中国大会に行き、準決勝で優勝校の尾道に3−4で負けたと思う。  前日の宿舎の夕食が原因で多くの選手が食中毒になり、点滴や注射を打っての試合で惜敗したのだ。 決勝戦でK敷工が尾道に大差で惨敗した為、T山商が県北悲願の初出場が決まったのだ。  県北は大いに盛り上がり、3月初めにはアンパン10円の時代に1,000万円程の寄付が集まった。 生徒1人は1,000円の寄付だ。 バス100台、6,000人の応援も決まっていた。  父の法事を止めて10万円寄付してくださったOBもいた。  私たち2年生は春休みが修学旅行で、試合日程に合わせて応援に行く様に変更したのだ。  しかし、待ち焦がれた10日程前、読売とさん経新聞の全国版に “T山商の応援団員 婦女暴行未遂で逮捕“ の文字が躍った・・・。   3学期にO山東商から転校して来た生徒がその学校で応援団に入って居た。  ※前の学校で問題を起こし転向せざるを得なかったらしい・・・。  T山商には応援団が無く、その転校生を団長にして急遽応援団が結成され練習を重ねていた。  高校入試での登校禁止日に、団長は転向後友達になった2人と共に岡山市内の自宅に帰っていた。  街で偶然出会ったO山東商時代の知り合いの女子高生に声をかけ、自宅でいたずらをしようとして警察に捕まったのだ。 他の新聞は報道を控えたが2社が報じて明るみに出た。  職員会議での苦渋の決断で出場辞退が決まったのだ。  出場辞退をTVで知ったM下選手のおじいさんがショックの余り心臓マヒで亡くなった。 2週間後の修学旅行も中止になった。  市内で商売をしていた当事者の商店は、市民から石を投げ込まれ、夜逃げ同然に店をたたんで引っ越した。  そんな大事件を、当時を振り返った部員がどう考えていたのか?と新聞の連載を見ると意外な考えをしているのに驚いた。  以下次号で

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