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zoom RSS 第361話 信じたくない知らせだった・・・。

<<   作成日時 : 2012/02/04 21:51   >>

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   昨年負傷した右膝の痛みは2月になっても続いている。    2月末のサッカーの8人制大会に備えて練習を開始したいが不安だった。   1月末になり、行きつけのK野病院の整形外科に行き、MRIを撮って診断を受ける。    予想通りの側副靭帯の損傷だった。   早く回復しなければ試合出場は厳しい。    その診断に行った日に妻の携帯に同級生から連絡が入った。    病気療養中の しゅうチャンが亡くなったと・・・。     2週間程前に私と妻とでお見舞いに行き、元気になると確信をして別れたのに・・・。    別れ際に力強く握ってくれた しゅうチャン の手の感触と笑顔が忘れられない・・・。    妻と同級生で、旧く米町の議員から市議会議員になった人物だ。    体育指導員で共に活動し、野球でも同じチームで一緒にプレーした事もある。    誠実、実直、実行力の有る有能な若手の代表格の期待の議員だった。    57歳の若さで余りにも短い生涯だ・・・。    町の各種の行事にはこまめに顔を出し、自治会の新年会には色々な報告をしてくれていた。     懸案のゴミ焼却場が隣の地区に出来る計画が有り、色々と調整に奔走していた。    新聞販売所の仕事をしていた為、早朝から働き、議員の仕事とで大変だなあといつも思っていた。    3人の子供は私が勤めていたT山東の体育コースに進んだ。    長男と長女と、その旦那の3人は私が担任し、次男と長男のお嫁さん共全員の授業を担当した。   人の為に昼夜活動している父を、3人の子供達が心から尊敬している事は、日頃の生活態度で私は良く知っている。    先月の病院のお見舞いに行った時に、奥さんと長男、そのお嫁さんと子供2人、そして次男と揃っていた。    皆仕事は休みかな?と、ふと気になった・・・。     長男、次男共幼い頃から、人の為に役立つ仕事に就きたいとの夢を叶え、消防士になっていた。     長男は防災ヘリに乗るレスキュー隊員になり、福島の震災にも派遣された。     剣道6段の父の影響で、子供3人共に剣道を続けている。    担任だった事も有り、私たち家族に対しては特別に気をかけてくれていたのだ。    訃報の知らせが入った時、 ウソだろう、冗談じゃ無いのか? と思ったのだが・・・。    翌日、妻は自宅にお悔みに行ったが私は行けなかった。   奥さんや、3人の子供達夫婦の顔を見るのが忍びないからだ・・・。     翌日のお通夜に参列した。     妻と長女の3人で開始30分前に式場に着いたが、ロビーは弔問者で溢れていた。   記帳を済ませて式場に入ると、僅かに席が残っていて、前から2列目に幸運にも座る事が出来た。    喪主の長男、奥さん、長女、次男が親族席の前で立って弔問者を迎えていた。   凄く落ち着いている様子が私の悲しみを誘う・・・。    式が始まる頃には2部屋続きの式場の後ろに多くの人が立っていたが、ロビーにも身動きできない程の人が居た。    焼香が終わった私は、立って挨拶をしている喪主や家族の前に行くと涙が溢れ、頭を下げただけで目を合わす事も、声をかける事も出来なかった。    私も大学4年の11月に、実の父を病気で亡くしている。   真面目で誠実で勤勉であり、私の自慢の父であった。    陸軍の士官学校を卒業し、戦後は小学校の教員をしばらくしていた。    1、7ヘクタールの農業がある為に教員を辞めた。   く米町消防団の副団長として何度も東京に行き表彰を受けた。    私がワンパクで、初対面の大人は 「 僕のお父さんは誰? 」  と良く聞かれた。  私は 「 みたに 有佐久の子供じゃ 」 と言うと  「 あの有佐久さんの息子か 」 「 お父さんは真面目な人だ。   若い頃は凄く足が速くて飛ぶように走っていた 」 と皆一様に言っていた。  父は口数は少ないが、行動で示す人物だった。   父の背中を見て育ち、優しい母に迷惑をかけたらいけないと常に思いながら生きてきた。    私は尊敬できる父と、優しい母の影響を強く受けている。    父が生きていたら、母が見ていたら今の私を少しは誉めてくれるだろうか?と常に思っているのだ・・・。        残された3人の子供達の辛い心境は良く分かるつもりだ。       延々と続くのかと思われた焼香が終わり、喪主の長男が気丈に挨拶をした。  「 昨年末に余命が知らされた時に、いかに生きるかだとオヤジと話し合いました・・・・。 」 と話した。   私たちがお見舞いに行った時は本人、家族は余命を知らされていたのだ。   皆明るく振舞って話をしてくれていたのに・・・。   最後のお別れにと お棺に向かうが、涙が溢れてしまった。   長男の前で、 「 元気に回復してくれると思っていたのに・・・ 」  とやっと声を振り絞った。   「 先生、有難うございます 」 奥さんと子供夫婦が皆泣いていた。    私は4年前の実母の時以上に涙を流したかも知れない・・・。    旧く米町と津やま市を背負うはずの しゅうチャン の57歳での短すぎる人生だった。      ご冥福をお祈りいたします。          

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
お通夜に行ったのに、まだ信じられない気持ちでいっぱいだよ。
本当に誠実で、みんなに慕われて、あんなに素晴らしい方がこんなに早く亡くなるなんて…。

『どう生きるか』
本当にこんな生き方を示してくれる方でした。
ご冥福をお祈りします。
愛娘M
2012/02/08 22:10

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