masaji66生涯アスリート

アクセスカウンタ

zoom RSS 第192話 県のサッカー文化の発展に貢献できたかなあ・・・。

<<   作成日時 : 2008/11/25 00:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

faジアーノ岡山がJリーグ昇格を決める試合だから、“行かねばならぬ” と出かけた。  メインスタンド中央のSS席には、前一般国体監督のM宅和夫氏、前技術委員長のM宅忠義氏、前高体連委員長のO部氏、その他 “faジアーノの追っかけ” 協会関係者が6、7人陣取っていた。 そろいのキャップをかぶっている。 「沖縄にも行ったし来週は最終戦の応援に富山に行く」 だ・・・。 すごい・・・。  バックスタンドにも続々と人が詰め掛け空席も殆ど見えない。 11,053人だ・・・。  思い起こせば10年程前に “岡山にもJリーグのチームを” と声を上げた人達が居た・・・。  現技術委員長のO山教諭達だ。 現実主義者の私は “そんな事無理だろう” と気に留めてなかった・・・。   Jを目指すに至る歴史がある・・・。  私が教員を目指して大学を卒業して岡山に帰って来たS47年に、OKAYAMA教員団サッカーチームが結成され県3部に加盟した。 教員チームのレベルアップが指導に役立つと、3年目に県1部に昇格し、国体に3度出場した。 同期に埼玉県出身で東京教育大卒のFURU畑教諭がいた。  S49年に彼が1ヶ月かけてコーチングスクールに行き、県で2番目の日本サッカー協会公認B級資格取得者となった。  彼は膨大な受講記録を作って皆に配布した。 これは多くの指導者が永く参考に出来る優れた資料だった。 翌年から隔年で県のリーダースクールが始まった。  私は日本協会からの示された一環指導の内容に大きな衝撃を受けた。 新採用でTAMA島高校に赴任した翌S51年に、中国地区から派遣枠2名の一人として、豊田市で夏と冬に計4週間受講した。  理論と実技の多くの試験をクリアーして、県で4人目のB級コーチの資格を取得した。  最終日に 「皆さんはプロのコーチです。」  とM本光弘TSUKU波大教授から言われた。 当時の日本リーグの監督が出来る資格だ。  その後、第2回〜10回までの岡山県リーダースクールの講師として、指導者を目指す人の指導にあたった。  このリーダースクールを受講し、全ての教科の試験に合格しなければ公認指導者になれない。  1、2月の土、日を使っての連続4週間の講習会は、受講者も指導者も大変だった。 土曜日の午後から日曜日の5時までびっしり講習がある。 受講生は皆夜2時、3時まで講義の復習をし、サッカーについて熱く語り合った。 私は毎週、土曜日に午前中の授業を終えた後に、車の中でおにぎりをほおばりながら玉野SSに向かった。 日曜日の最終種目の体力トレーニングを担当し、私の基準でメニューを考えた為、受講者はヘトヘトだったようだ。 5時に解散しても、休まないと直ぐに帰れない。 アクセルを踏むと足がつって運転できなかった人が結構居た程で、「私の顔を見るのもイヤだ」 と冗談半分で言ってくる。  3、4週目の土曜日は朝4、5時まで指導案のチェックをする。 そして朝8時から講習だ・・・。 自宅に90km運転して帰って来ると夜8時頃になっていた。 健康自慢の私も、必ず2月中旬頃にキツイ風邪を引いて病院で点滴を受けた・・・。  両M宅氏をはじめとして、YUNO郷ベルの責任者のKURO田氏も、岡山の何百人もの資格取得者も約97%はここの受講者だ。 “岡山のサッカーレベルを上げよう。日の丸を着ける選手を育てよう!!” と、少年団から社会人までの指導者の共通した思いだった。 Jリーグがスタートし、岡山からも何人かのJリーガーが誕生し、プロが現実のものに成ってきた。  そして、大学の後輩のO山教諭、S実大教授のY下faジアーノ総監督達がJを目指すチーム作りに知恵を絞って来た。  “夢は念ずれば叶うもの” だなあ・・・。  faジアーノの試合を観ながら感慨深いものがあった・・・。  サッカーに情熱を注ぐ多くの人達の努力に、拍手を送ろう。   

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
第192話 県のサッカー文化の発展に貢献できたかなあ・・・。 masaji66生涯アスリート/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる