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help リーダーに追加 RSS 猛暑の中のサッカー 良く頑張るなあ 

<<   作成日時 : 2007/08/13 21:59   >>

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 美作地区高校サッカー選手権は、私が大学を卒業した昭和47年にはすでに実施されていた。 勝山高校の宮川先生、津山工業高校の上田先生が中心になり、地区の高校の強化を目的に始まったものだ。 別名 “お盆納涼大会”と言われ、真夏の大会として勝間田高校を中心に開かれている。  11日に行われた決勝戦を本部テントで観戦しながら、私は 「この暑いのに良く頑張るなあ。 こんな暑い中で2試合も無茶やなあ」 と周りの者に話しかける。 すると 「先生はT工業高校で監督をしてた頃は、無茶な練習をしてたと卒業生のK元さんから色々聞いてますよ」 とS山教諭。 すると現監督のN波教諭が 「ホンマにこの人は無茶しよった。 レガースを付けてなくて、スネを蹴られて怪我した部員に、[レガースを付けておけと注意しておいただろう。と怒鳴って、その怪我した箇所を蹴り上げたからなあ」 と追い討ちだ。 続いて黙秘権を拒否する程の多弁症O本教諭が 「T高校に勤めていて、夕方T工業のグランドの横を通って帰っていたら、ゴールの前に3人部員を並べて、至近距離からシュートを打っていた。 そのシュートの2m程前に、体ごとGKの様に飛び込んで行って、ブロックする練習をしてた。[身体で止めろ!!]と鬼の形相で怒鳴ってたのを見て、恐ろしくなった」 と大きな声で興奮気味に喋りまくる。 「こんな話も聴きましたよ。」 とS山先生 「真夏に何試合も練習試合を続けて、バテて動きが鈍いチームに怒って、ハーフタイムになってベンチに帰ってきた選手の前で、[お前達に飲ませる水は無い!! ハーフタイム中グランドを走れ!!]と言って水を全部グランドに撒き散らし、ずっと走らせて試合を再開した事があったと。」 私は 「ハーフタイムショーと呼んでいたよ」 と応える。 思い起こせば、私も選手も全国を目指して頑張っていた時代だ・・・。 28歳から36歳までの体力、気力共充実していた時代だ。 国体選手を常に5〜7人抱えていた作陽と違い、 8年間の在籍中に国体には計6人を送り出しただけのT工業は猛練習しか無い。 教員団で国体出場を目指していた私も、常に部員と同じ練習を続け、この身体と技術、執念で勝負に対する厳しさを表現して指導した時代だった。 53年に総体決勝で作陽に2−0で勝ち、54年の選手権決勝で作陽に1−0で勝った。 その当事の部員の多くがまだシニアなどで現役でプレーしている。 主将として特別に優秀だった岸本は現在シンガポールに住んでいるが、時々メールをくれる。 「先生に [苦しい時に頑張れる選手になれ。]といわれた言葉は、私の“座右の銘”にしています。高校時代の凝縮された3年間があったから、社会人で頑張れていると思います」  と最近のメールの内容だ。 嬉しいなあ。

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