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zoom RSS 第80話  T工業高校時代(パートA)はエネルギーに溢れていた・・・。

<<   作成日時 : 2007/06/24 21:05   >>

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 昭和53年4月、新採用で3年間勤務した玉しま高校から、地元のT工業高校に転勤した。 幸運なことにサッカー部の顧問で教員チーム仲間のF畑先生が県南に出たい希望があり、後釜は私しか居ないと呼ばれたのだ。 県北サッカー界の雄、T工業高校は優秀な卒業生を多数排出し、全国高校選手権に1度出場し、国体代表にも毎年数名を送り込んでいた。 全国の常連の水しま工業に続くチームは、T山工業高校、倉しき工業、たま野高校などであった。 引継ぎの時にF畑先生から 「こいつらは真面目に良く頑張っているので、全国に連れて行ってくれ」 と言われていた。 当時のT校は男子バレー部がM野先生のスパルタ練習でO東商と2強でイ度々ンターハイに出場し、野球部はベスト4、ラグビー部はA田先生の緻密な練習で常に決勝まで進出していた。 剣道部もヤクザも恐れる顧問のA藤先生の指導で、ピリピリとした練習をしていた。  国体教員の部で、中国地区の予選を勝ち抜き、50年の青森国体に出場した私は、2度目の出場とサッカー部の躍進の為に日々気合を入れて練習に参加していた。  小柄ながらスタミナ、パワー、精神力では教員チームNO1の私はアップから練習の最後のダッシュまで一緒に動き回り、私のおかげで部員は手抜きができない。  前監督は攻撃中心での練習だったが、私はDFの選手だった為に特に守備を徹底して鍛えた。 教員チームの仲間が“ゼンマイ仕掛けのおもちゃ”と私の事を評していたが、私が見本を見せて身体を張った1対1の頑張りを叩き込んだ。 県リーグはもちろん、中国地区や国体でも並外れた瞬発力で、相手を封じた私の守備力をだいぶ身に着けたDF陣は、簡単には失点をしなくなっていた。 そしてT工校イレブンは、インター杯県予選で決勝に進み、急速に力を付けた作陽と対戦した。 実はT工校は4、5月に練習試合をして、国体選手7人を要する作陽に1−5,0−4と完敗していたのだ。 さく陽高校の熱血漢のK監督は、サッカー素人ながら県内各地から有望選手をかき集め、全国が手の届くところまで来ていたのだ・・・。 準決勝に勝ち、T工業高校との決勝戦が決まった前日に、ついに初の全国出場を確信したことだろう・・・。 共にインターハイ初出場を目指す両チームが、県営競技場で対戦したのである。  ドリブルが中心の作ようは、さしたる戦術が無く個人技でT工校に向かって来たのであった・・・。   この続きは気が向いたら書きます・・・。
     

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