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zoom RSS 第41話  この恩師ありて パートA

<<   作成日時 : 2007/03/11 14:33   >>

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 厳しい大学生活でホッと出来る時は、部活が休みになって自宅に帰った時でのみあった。
最後の練習が午後で終わり長期の休みになると、その日の22:30発の夜行に飛び乗り、硬い木製の座席に座ったまま眠り、津山に昼過ぎにたどり着くのがいつものパターンだった。翌日の新幹線より3時間も早く帰れるのと、6割程度の運賃で済むからだ。自宅に帰ると早速オートバイで母校の体育管理室に挨拶に行き、サッカー部の練習に参加した。これを4年生の夏まで繰り返した。サッカー部だけでは物足りず、野球、ソフト部に行きノックを打ってやったものだ。また上手くなりたい一心で、2年先輩のKさんの出身校の工業に行って練習に参加させてもらった。 その為、教育実習では知っている生徒が多くやり易すかった。 商業から3人がN体育大に進んだため大学から T体操部監督が査察に来られた。 M先生は 「T遅い。 もっと早く来んか」 T監督は 「申し訳ありません」 と頭を下げる。 M先生に対しては 当時の現役の多くの先生が 「M先生、M先生」 と 最敬礼をする。 曲がったことが嫌いな先生は気に入らないことには絶対 「うん」とは言わず、「○○徳」 の愛称がついて怖がられていた。 私は普段のまま敬語を使って話をし、特別に敬い奉ることはしなかった。 なぜ大先生に普通に話しが出来るの?と思った私の先輩も居たが私には恩師以上でも、以下でもない。 恩師に対しての敬意を払った接し方しか出来ないからだ。 お盆と暮には先生の大好物のウイスキーを持参したが、奥さん共々歓迎していただき 「まあ上がれ」 と居間に通され、普段では見せない優しい笑顔で対応していただいた。  退職後に始めたゴルフの魅力に取り付かれ、プレーに支障があるのでと、数年後酒、タバコをきっぱりと止められた。 私が東高に転勤して来たと聞きゴルフクラブを持って体育管理室に来られた。 M先生の後輩で体操部のU先生があわてて、「M先生どうされましたか?」 と訊ねると 「お前には用は無い。石原にゴルフを習いに来た」 私が体育に帰ってくると  「石原君ちょっと教えてくれたまえ。バンカーが上手くいかん」 「これから授業があるので」 と言うと U先生が 「お前、なんて事言ってる。授業はわしがする。お相手しろ」 とあわてた姿が思い出される。 砂場で 「ここをこうして、そこをああして」 「うん、なるほど。分かった」 と一時間足らずのレッスンが終わると、「ありがとう」 と 嬉しそうに自転車に乗って帰られた。 80歳前の先生がまだ “上手くなりたい” と 、自転車を押して坂道を上がり、私を訪ねて来る意欲に驚かされたものだ。



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