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zoom RSS 第40話   今の私はこの恩師ありて パート@

<<   作成日時 : 2007/03/11 10:36   >>

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 体育教師を目指して世田谷にあるN体育大に入学した私は、学生寮の厳しい生活と、初めて体験する部活動が問題の多いサッカー部ということで、日々緊張の連続であった。 何せ、関東大学リーグの2部に低迷するサッカー部は大学の恥であった。 当時の学生にはメキシコ五輪で個人、団体で金メダルの体操日本の中心の監物、塚原の二人のエースをはじめ、レスリング、重量挙げ、バレーボールの森田をはじめの多くのメダリストを抱えていた。バスケ、バレー、ハンド、ラグビー、駅伝、レスリング等で大学日本一は数え切れない程で、スポーツ界のリーダーであったからだ。 当時、学生寮には赤電話が2台あるだけで、500人の寮生が使うにはあまりにも お粗末であった。 やむなく私は、月に1、2度限られた時間内で自宅や恩師の M先生に近況を知らせる手紙を書いた。 4、5月は日曜以外は毎日の様に、10時間練習と部活が終わった後の先輩による恒例のうさぎ跳び、腹いせの鉄拳制裁があった。鼓膜が破れ、鼻骨が折れる者も居た。そういう時代だった・・・。 寮生は練習初日に3人、夏休みまでに計12人辞めていった。 しかし、手紙はそのことには触れず、“大変だけど元気にやってます。” と弱音や心配させるような内容は書かなかった。 その度にM先生は数日後には、短い内容だけど必ず “はがき” で返事をくださった。 ある時、体操部の寮生が私に 「明日M先生が大学に来られる。 監督から俺達に東京駅に迎えに行くように言われた。 お前も夕方に体操部の体育館に来るよう」 と伝えに来た。 翌日、体操部専用の体育館の管理室を訪ねると、ソファーに腰を下ろしたM先生。 周りにはテレビで見たメダリストと、後に体操の世界殿堂に入り、学長になった T監督が緊張の面持ちで立っていた。 「オレの教え子なので面倒を見てやってくれ」 即座に 「分かりました」と T監督 噂には聞いていたが凄い人なんだと再確認したのである。 しかし、その真の素晴らしさは、その30年後に津山でM先生の傘寿の会を開催し、全国からはせ参じた多くの体操関係者の感謝の言葉で知ることになる・・・。

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