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zoom RSS 第39話   こんな転勤 パートA

<<   作成日時 : 2007/03/09 03:30   >>

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 4月半ばの午後、私はK高校で体育館のステージ上の椅子に座り、懐かしい多くの生徒の顔を見ていた・・・。 生徒はじっと立ったままで、退任される先生方のお別れの挨拶を聞いていた。     4年前に転勤して来た私は、荒れかけていたにこの学校を何とかしたいと奮闘した。 転勤の面接に行き、初めて会った教頭、生徒課長、体育主任が揃って 「サッカー部さえ良くなれば学校中が良くなる」 と言った。 サッカー専門の指導者が去って久しい。 他の部でキチンと出来ずに退部したワルの生徒が集まって、好き勝手な練習をし、顧問を引き受ける者がいなかった。 昭和30年代に全国大会3度出場のサッカー部への期待は高い。 工業の監督暦8年で厳しい指導の噂はすでに伝わっていた。 私は部員と同じメニューの練習をこなし自分のプレーで、サッカーとはこうするものだと見本を示した。 総体の後、半数の2年生が 「先生の指導にはついて行けません」 と退部を申し出た。 3ヶ月で普通の部になっていた。 しかし、シード校の壁は厚く、4年間ハネ返され続けた。 1年商業科の担任になり、校舎内が土足可のために、汚れ切っていたHR教室の床を毎日濡らしたモップで磨き、1月後には座っても汚れないほどにきれいにした。 飴の包装紙を投げ捨てていた生徒も次第にいなくなった。 週番で教室の点検に来る他学年の教員が驚いていた。 しかし、体育関係の行事をすべて押し付けられ、おまけに殆ど要項が残って無いのには参った。当時はまだ書類を作るには、手書きの原稿作りからする必要があった。要項を殆ど作り直した。 私は、今までの他の教員がやりたくても出来なかった事を思い切って断行し、体育祭、球技大会、部室の管理、式典、体育の授業等のことを2年間で大きく改革した。 自分の考えと違うと校長だろうと年上だろうと噛み付くことで皆から煙たがられていた体育のK先生は、そんな私を全面的に支持してくれて凄くやり易かった。 他の多くの先生が応援してくれた。突っ走った4年間の色々な事が思い出されていた・・・。    私が演台に向かった 去年担任をしていた1−4の生徒諸君、こんなに早く皆とお別れをするとは思わなかった。すまない・・・」 生徒のすすり泣く声が聞こえ出した・・・。「私を信じてついて来てくれたサッカー部の諸君・・・。」 涙を止めようが無い・・。「あんなに頑張ってくれたのに、一度も良い思いをさせてやれなくてすまない・・・。」 多くの生徒の泣き声が聞こえる。 「私は伝統あるK校に勤めることが出来て、素直なみんなと過ごせた4年間が本当に楽しかった・・・。さようなら」 もっと喋りたい事があったが限界だった。 皆泣いていた・・・。 その後サッカー部員とのお別れの時 キャプテンが言った。 「美作総体で絶対優勝します。そして委員長の先生から優勝盾を貰います」 と。 総体が始まった。 彼らが猛練習をつんだのは明らかだ。 最後まで集中力を切らす事なく商業、落合、林野、津山を破って優勝し、見事に名門復活を果たしたのであった。 閉会式でキャプテンが私の前に来て 「先生。やりました」 「良くやった」 盾を渡し、ガッチリと握手した。 1週間後、私はこの4試合の内容すべてを “歴史をつくった選手達” の題で B5用紙6枚にびっしりと書いてK高校に送った。 

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
いいお話でした…思わず涙が出そうになりました。
当時の生徒さんたちの思い出に色濃く残っていらっしゃることと思います。幸せですよね!

私は今春退職して、新たな一歩を踏み出すことにしました。
masaji先生は今のところにずっといらっしゃるのでしょうか?
どこにおられても、これからも生徒たちの心に残る先生でいてくださいね!
kana
2007/03/15 12:51

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