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zoom RSS 第38話   かつてこんな転勤があった パート@

<<   作成日時 : 2007/03/09 01:44   >>

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 市内の某工業高校に8年勤務した後、希望していた勝山町内の普通科に転勤して行ったのが、私が初めて36歳になった昭和61年だった。 専門の顧問がいなくて、他の部を止めた者の集まりのサッカー部は、学校の悩みのタネだった。 私はグランドで部員と一緒にプレーし厳しい練習を続けた。 何人もの根性なしが耐え切れなくて辞めていった。 3年後には地区の中学から優秀な部員が多数入部し県大会を狙えるチームになった。 しかし県大会出場をかけた試合はプレッシャーで力を発揮出来ず、ことごとく敗れ去った。 新人戦予選敗退1週間後、ショックで集中力の欠ける練習を続けた部員全員をグランドに集合させた。 冬の雨の中、私はグランドの中央で笛を吹き続けた。 1時間余り、部員達は80m程のダッシュを黙々と繰り返した。 しかし、その後の1年間はシード校の壁に跳ね返され続けた。 4年目の冬、腰に激痛が走り、検査の結果は腰椎椎間板ヘルニアだった。 平成2年1月17日に手術に踏み切った。 リハビリの爲に最低でも3週間の入院が必要であったが16日間で退院し、翌日から仕事に復帰した。 4年目のこの年に、数年先にチャンスがあればと母校への転勤希望を S校長に表明した。 3月半ばに校長室に呼ばれ 「ことしはまだダメです」 と告げられた。 私は「まだ先の話と思っています」と応える。 28日に私の快気祝いにと、真庭カントリーでゴルフ・コンペが開かれた。 私はコルセットをつけてプレーし、ホールアウトした。 フロントから “学校の方にすぐ帰るよう” にとの伝言だ。 皆に 「転勤かもしれない。」 と冗談を言って学校に向かった。 校長は 「東高に転勤が決まりました。30日に面接に行ってください」 唖然とした私は 「そんな希望は出していません!!私はここでやらなければいけないことが沢山あります」 「もう決まったことです」 と校長。 30日、東高のN校長は満面の笑みで、 「良く来てくださった。体育のU、H達があんたを取らなければ許さんと脅し続けるので困った」 と話す。 私は言葉少なく 「宜しくお願いします」 と言うのが精一杯で、体育にも寄らず雨の中を勝山方面に車を走らせた。 職場に向かう間、私は涙を拭き続けた・・・。 やり残した事が沢山ある・・・。 夜自宅で妻につぶやいた。 「教員人生も終わったかも・・・」

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