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zoom RSS 第47話   ○山○員団 国体への道

<<   作成日時 : 2007/03/18 21:22   >>

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 昭和47年N体育大を卒業した私は、国体出場を目標に○山○員団サッカーチームに所属した。東京教育大(筑波大)卒のH畑、地元の○山大卒のE木、香川大卒のH田の4人が山陽新聞に期待の4人として紹介された。 県3部リーグからスタートしたチームは、苦戦の連続ながら3部で優勝し、2部で3位ながら1部に昇格した。 私はプレーに対する集中力と、1体1の強さカバーリングの速さを買われ、りベロをまかされた。 30歳を越す3人のDFのカバーに走り回り、抜群のジャンプ力を生かした二段ジャンプヘッドとゼンマイ仕掛けのおもちゃと評された素早い動きで、2部チームからは異例の県ベストイレブンに選出された。 以後7年連続受賞したが、この記録はいまだ破れていない。 チームは後に、県1部リーグ5年連続優勝、国体3度出場を成し遂げる事になる。 このチームは強烈な個性派集団で、後に7人の校長、3人の教頭等を排出する。 当時の面白い場面を 2つ記してみる。 @ 1部入りを果たした年に県サッカー場での試合中のことだ。 左サイドBKのO森選手がオーバーラップで駆け上がった。 運悪く雨の中のゲームであったため、短パンが濡れて重くなっていた。 さらに悪いことにゴムも緩くなっていたのだろう・・・。 10m程走ったら短パンが膝までずり落ちた・・・。  アズキ色の水泳パンツが尻にピッチリとくっ着いている あまりの姿に敵味方の選手が動きを緩めた・・・。 彼はそれでも走り続け見事にセンタリングをあげたのであった。 が、彼の努力は報われなかった・・・・。  FWが笑い転げてゴール前まで走れなかったから・・・。    30年の時が経過しても、その光景はなぜか忘れる事は出来ない。 現在彼はK南中の校長だ・・・。  A 真夏の試合の一こまだ。 真っ赤な短パンとユニフォームで試合をしていた時の事だ。 長身FWのU野は下着に白いフンドシを使っていた。 大事な所を隠す布を長めにしていた為、赤の短パンの下からはみ出てヒラヒラとしていた。 汗かきの彼は額の汗を拭く時には実に便利だと、赤い短パンから白い布を引っ張り出しては、顔を拭きサッとしまう動作を繰り返していたのである。    私より3歳上のうえ野(仮名)は元自衛隊の教官で常に金槌を持ち歩き、自衛隊の体育訓練ではそれでシバいていて、鬼軍曹と呼ばれていたらしい。

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