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zoom RSS 第33話   父親とは・・・。パート @

<<   作成日時 : 2007/03/02 11:39   >>

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 時間をかけて作り、温めていた内容を思い切って公開します。 私の幼少の頃は腕白でガキ大将だった。小学校の3、4年の頃は前の山に遊びに行き、檜の木によじ登り、木から木に飛び移っていた。真冬に川に入り動きの鈍くなった魚をつかみ取りし川原で焼いて食べた。 年下の子供達を引き連れて、田や川や山を走り回って擦り傷が絶えなかった。 初めて遊びに行った家で必ず 「あんたはどこの子?」 とたずねられた。 「○○の子だ」と言うと、「そうかお父さんは○○か。若い頃は物凄く足が速かった」とか 「姿勢の良いしっかりしているお父さんだ」 とその度に言われていた。 子供ごころに、お父さんは有名な人なんだと鼻が高かった記憶がある。 陸軍士官学校を卒業し、戦後は小学校の教員を少しした後会社勤めを続けながら農業を継ぎ、1・7haで米作りをした。 小、中のPTA会長を引き受け、町の消防団の副団長を長らく務めていた。いつも凛としている その姿を誇らしく思っていたものだ・・・。 早朝から農業をし会社勤めをして帰り、また田んぼに出て夜遅く帰ってくる父と、それを支える口やかましくは言わない優しい母に私はいつも感謝していた。 子供心に “絶対に両親に迷惑はかけない” と誓ったものだ・・・。  高校まではできるだけ家のことを手伝い、田んぼに出て働いた。部活に入部してないので農繁期は放課後、日曜日は田植えや稲刈りでは1日中田んぼにいたが両親が喜んでくれるのが嬉しかった。 兄は滋賀、私は東京の大学に行ってしまい、家には高校生の長女だけで会社勤めと農作業は大変だったろう。 2人を大学に通わせるために身を粉にして働いていた・・・。    大学3年生の冬休みに、会社の取引先回りに 「 一緒に行くか? 」 と私を連れて行き 「 日体大に通っている息子です 」 と嬉しそうに紹介していた。  小さい頃にはワンパンクで元気な私を可愛がってくれている事は感じていた。   正月明けの大雪の日に、長靴を履いて家を出て東京に向かう私を、靴を持って駅まで歩いて送ってくれた・・・。 10日後に父から寮の私に電話がかかって来た。 「肝臓の調子が悪いので病院で診てもらったら入院するように言われた」 酒、タバコを一切口にしない父だ。本当に真面目で遊びもせず、3人の成長だけが楽しみだったのだろう。 その為に無理してた事を私は良く分かっていた・・・。 大学の部活がどんなに苦しくても我慢で来た。  私は4年の秋に部活を引退したらアルバイトをしてお金を貯め、父と母を卒業式に呼んで東京見物をしてもらうつもりだった。 1月に入院以来初めて、10月に病院の外泊許可で兄の結婚式にやっと出席できた父は、数週間後、岡大病院で49歳で亡くなった。  朝から晩まで身を粉にして家族の為に働き続け、子供達の一人立ちを見届けることなく、しんどいだけの人生だった様な・・・。  私は無理をしないで身体を鍛え、父の分まで元気に生きなくてはいけないと常に思っている。 それが唯一できる親孝行だから・・・。   そして私の子供たちのためにも・・・。   時々夜空を見上げる時がある。  父の顔が浮かぶ・・・。  “まさつぐ、がんばってるか?” との お父さんの声が聞こえる気がするのだ・・・。  涙が・・・。

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